お墓まであと200段。登るべきか、登らざるべきか

いやあ、お墓というものにほとんど縁も無く、先祖のお墓参りすらまったくしない私なのですが、駄目でしょうか?
宗教も、あまり関心が無く、最近は特に神道」の精神だと主張してやまない私の精神の柱となるものは、無いに等しい。

昔は、自分のことを無神論者」と、ひょうひょうと言ってのけていた。そして、聖書は「モラル書」と呼び、「時に良いことが書いてある人間社会のモラル本」と位置づけていた。
そんな私に、「なにかしらんの宗教的精神が刷り込まれているものだよ」というようなことをいう旦那さん。
最近すこし考えるようになってきた。
・・・。・・・。
・・・。
結論。ワカラナイヨ(T□T;)
あたしゃ、なに教?
何だかんだ言って、カミサマを心の隅っこで信じちゃってるの?
死んだら葬式どうするの?
どれだけ考えてもわからないので、ゆっくり考えることにしている。ま、宗教は心のよりどころとして、人間によって作り上げられたものではあるが、変な新興宗教でも、はまってしまうヒトは多くいる。
ひとつ、決めつつある。葬式はやらない。墓はなし。あたしがいなくなって、まだ旦那さんが生きてたら、骨は旦那さんに持っていて欲しい。そして、旦那さんが死んだら、骨を一緒にして欲しい。そして、どこかに埋めてくれればいい。墓石はいらない。
あ、話がそれている。
お墓まで200段。あたしの墓のことではなく、家康の墓だ。
今日、日光東照宮に行ってきた。

栃木県、日光市にある。そこには、有名な見ザル言わザル聞かザルや、眠り猫が居る。

そして、家康の墓まで登るには200段の階段がある。それを登ってきたのだ。
東照宮自体はすごく派手な感じ。もう3回目の訪問だ。
旦那さんは初めてだったので、楽しかった。